足利義勝・足利義政は

足利義勝は、室町幕府の第7代将軍。

第8代将軍・足利義政や足利義視の同母兄。

堀越公方の足利政知とは異母兄に当たる。

永享6年2月9日、第6代将軍・足利義教の長男として生まれる。

嘉吉元年、嘉吉の乱が起こり、父の義教が家臣の赤松満祐により暗殺されたため、嘉吉2年に細川持之らに擁されて9歳で将軍職を継ぎ、第7代将軍となった。

幼年のために政治能力が無いため、管領の細川持之が実権を掌握し、持之の死後は山名持豊や生母の日野重子らが実権を握って、嘉吉の乱を起こした赤松満祐の討伐、嘉吉の徳政一揆などを平定した。

義勝は在位わずか8ヶ月後の嘉吉3年7月21日に死去。

享年10。

死因は落馬、暗殺、病死などの諸説があり、この内大河ドラマ作品「花の乱」では落馬説が描かれていたが、実際は赤痢による病死が有力であるとされている。

後任の将軍には弟の足利義政が選出された。
update:2010年07月14日